「なぜ、英語がわからないのに洋楽を聞くのか?」「なぜ、邦楽に固執するのか?」について考察してみた
ある日「なぜ、英語がわからないのに洋楽を聞くのか?」で論争に
「英語分からないのに、洋楽を聴いている人って意気っててキモイよね」みたいなこと言われたことありませんか?
私はある女性から言われました。
そこで、「そんなに歌詞が大事ならポエム読んどけばよくない?」と返したらところ、相手と口論になりました。
相手の方は「それは違う」の一点張りで議論にもなりませんでした。
そこで、私なりに「なぜ、邦楽に固執するのか?」「なぜ、英語がわからないのに洋楽を聞くのか?」についてまとめてみました。
音楽を聴く人には二種類の人間がいる
私は、人の歌声を「音」ととらえるタイプと「歌詞」で捉えるタイプの人間の二種類がいると考えています。
これが、「英語わからないのに、洋楽を聴く原因」ポイントです。それぞれのタイプを説明していきます。
人の声を音としてとらえるタイプ
人の声を音でとらえるタイプの人は、歌声をギターやドラムの音と同様に、音の一部として認識します。
そのため、歌詞の内容なんてどうでもいいのです。歌い手の歌声やリズムが大事であって、歌詞なんて関係ありません。そのため、洋楽も抵抗なく聞くことができます。
このタイプの人は、邦楽でも好きな曲の歌詞を覚えていない人が多いです。なぜなら、歌声を音として捉えがちで、歌詞を認識していないからです。
人の声を歌詞として捉えるタイプ
人の声を歌詞として捉えるタイプの人は、音楽を聴いている時に歌詞を意識する人です。
よく、音楽を聴いて「感動した」とか、「歌詞に共感できる」って方いますよね。そういった方が、このタイプの人間です。
最初、私はこういったタイプの人間で、洋楽を批判する人は「歌詞が重要ならポエムでも読んどけよ」と思っていました。
しかし、今では「その人の心に刺さる歌詞が、ギターやドラムなどで作り出されるメロディーによって、より感動的なものになる」のではないかと考えています。
映画でも、雰囲気を作るために、バックサウンドが非常に大切ですよね。
このタイプの人は、カラオケで歌詞を見なくてもある程度歌を歌えます。お風呂とかでもしっかりと歌を歌えるのではないでしょうか?
結論
正直、洋楽を聴いている人を批判する人は、思考が自分本位な方が多い気がします。別に洋楽を聴いたっていいじゃないですか。
以上グダグダ書きましたが、この記事を口論した女性に捧げます。